旬のそうべつ

北海道鉄道壮瞥町の歴史プラットホームを訪ねて(その2)

みなさんこんにちは!

スタッフの伊藤です!

ブログからしばらく離れている間に壮瞥町は
初雪そして初積雪を迎えました。

寒さに負けず今回は、以前ご紹介したブログ
『北海道鉄道壮瞥町のプラットホームを訪ねて』が
大変ご好評いただいたので、更に歴史を探しに
歩いて来ました。

旧国鉄胆振線の歴史を振り返る

前回のブログをご覧になれなかった方の為に、
もう一度お伝えしますと、今は無き胆振線とは
今からさかのぼること昭和12年伊達紋別より起工し、
昭和16年9月には喜茂別町まで至る全線が開通した
地方交通線の1つ。

日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線の
1つであり、農産物や鉱産物・林産物などの輸送手段
として重要な役割を果たし、地域住民の唯一の足でも
あった胆振線。

でもこの胆振線も時代の流れと共にバスへの転換が
やがて胆振線は『赤字ローカル線』のひとつとして
人々に惜しまれながらも1986年11月全線が廃止と
なってしまいました今は無き思い出の線路です。

噴火も乗り越えた旧国鉄胆振線

壮瞥町はみなさんもご存じのように噴火と共存する町で
旧胆振線も噴火に翻弄されながらも苦難を乗り越えて
きた歴史を持っています。

それは、1944年有珠山の噴火活動により現在の
昭和新山の麓一帯が隆起と地殻変動に見舞われ
ました。

当然胆振線が走っていた場所も地殻変動を起こし
線路にも支障をきたしたものの列車を運休させる
ことなく、迂回路を作り人々の足となっていました。

そして噴火が終息した頃には、最初の線路の場所が
山の中腹までずれてしまいました。

現在この地域は、噴火の脅威と共に旧胆振線の
遺構として皆さんにぜひ見てもらいたいという
ことで『昭和新山鉄橋遺構公園』として保存し
開放しています。

鉄橋遺構

◆昭和新山鉄橋遺構公園情報は観光情報サイトでも
ご覧いただけます
https://sobetsu-kanko.com/spot/tekkyokoen

こんなところにも旧国鉄胆振線

前回お伝えしたプラットホーム以外にも絶対どこかに
胆振線を感じさせる遺構があるはずということで、
壮瞥町内を散策。

国道453号線を蟠渓方面へ走っていると意外に目につく
場所に見つけちゃいました!

それがこちら▼▼

レルコマ川

場所は国道453号線沿い有珠郡壮瞥町字久保内地区。
国道を蟠渓方面へ走らせると右側に見えてきます。

目印は「レルコマ川」。

ちなみに”レルコマ”とは・・・

現在はレルコマ川から奥に位置する集落を駒別部落と
呼ばれていますが、その昔は「礼留駒別」(レルコマ
ベツ)と呼ばれていたそうで、この部落付近に流れて
いる川なのでレルコマ川と名付けられたようです。

また、久保内部落はクチャンベツと呼ばれ、アイヌの
方々の猟場となっていたと伝えられていることもあり
どちらの両部落の名前もアイヌ語で呼ばれていたのかも
しれません。

このレルコマ川鉄橋をよ~く見ると何やら文字が!!

それがこちら▼▼

鉄橋

よく見るとどうやらこの鉄橋の塗装作業が行われた
年月日などが記されているようなのですが、驚いたのは
なんと”1977年”ということ!

1977年と言えば、ご存じの方も多いことと思いますが、
有珠山の山頂大噴火があった年です!!

ただこの鉄橋の塗装は噴火後にされたようですから
噴火とは関係はありませんが、壮瞥町にいる私たちは
どうしてもこの年号に反応せざる終えないということ
です。

そしてこの鉄橋の続きと思われる場所へ・・・

こちらは前回のブログでもご紹介した蟠渓地区です。

実は前回のブログには掲載しませんでしたが、
こんな画像を撮影▼▼

紅葉2

わかりますか!?

実は遠くに旧胆振線の鉄橋が!!
なんとこの時全く気づかず・・・

そして今回改めて撮影したのがこちら▼▼

白水川

この白水川鉄橋ですが、せっかくご紹介できたのに
なんと残念なことに近い将来道路工事が入り、
国道453号線となってしまうそうなのです。

時代の流れで次々とこうした思い出の場所が消え去って
行くのは大変残念なことです。

鉄道ファンの方!!

これが見られるのは今だけです!!

 

プラットホームへ再び

今回新たな鉄道遺構を求めてプラプラしたわけですが、
せっかく蟠渓地区へ訪れたので、前回訪れたあの
プラットホームへ再び足を運んでみました。

景色はすっかり秋から冬へと移り変わり真っ白に。

プラットホーム

今回は新たな発見も!!

例えば線路を守る為の土砂崩れ防止の石垣▼

石垣

既に草木で覆われてなんとか”石垣”とわかる程度。
でもふと思う・・・

もしかしたらもう役目は終わったと見える石垣も
今、このプラットホームの遺構が保たれているのは
この石垣のお陰なのかもと。

そして山の斜面にもこんな石垣が▼

斜面

 

この石垣たちを見ていると、役割ももちろんのこと
当時の工事技術やここで作業をしていたであろう
人たちの作業風景などを想像してしまいます。

旧胆振線の思い出は至る場所に

2回に渡ってお伝えしてきた『壮瞥町の歴史
プラットホームを訪ねて』ですが、旧胆振線の
思い出は市街地にも大切に保存されています。

なんと言っても国鉄があったということを実感できる
とすればやはりこれを見ると一番かなと思います。

それがこちら▼▼駅名標

この駅名標を見ると我が町壮瞥町にも間違いなく
駅があったと実感できる大切な大切なもの。

ちなみにこの駅名標は北の湖記念館駐車場に展示
されています。

北の湖記念館情報はこちらをどうぞ▼
相撲ミュージアム「北の湖記念館」WEBサイト
(壮瞥町(有)堀口水道様運営)
http://www.sumo-museum.net/

そして町中にはこんなものも▼▼

無題

壮瞥町内には旧胆振線以外にも所々このような
案内が見られます。

壮瞥町に来ていただいた時には、このような看板を
辿るのも楽しいかもしれませんね。

2回にわたってお送りした旧胆振線情報はいかが
だったでしょうか?

鉄道ファンの方はもちろん、ファンではない方も
たまにはこのような遺構を訪ねて歩くプリ旅行も
悪くないものですよ。

では、またのブログをお楽しみに・・・

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